同僚の話
せっかく雪が解けてきたのに、また積もってしまったよ。
先月の大雪の日、同僚が窓の外を眺めながらつぶやいていた。仕事から帰った後に待ち構えているであろう家の周りの除雪を考えると、完全に同意だ。
しかし、話を聞いていくと、どうやら私の感情のそれとは違う様子だった。

「本州はもう梅が咲いてるんだってよ。もう春じゃん。そもそも雪なんて降らなきゃいいのに」
『ん?そもそも雪が要らない!?』
私は素直に驚いた。
雪が降って積もることで、確かに不便なことは沢山ある。
除雪以外にも、車の冬タイヤ交換、靴だって冬靴を用意しないといけない。
私の好きな自転車やキャンプ(最近は冬キャンプも流行っているみたいだが)もしばらくお預けとなってしまう。
失うものと得るもの
確かに雪が降らない地域の人たちと比べると、やらないといけない事や用意する物が増え、一方で雪が降る前に比べてやれることが減ってしまう。
そこにはマイナス要素しかないのか。
いやいや、雪が降り、積もるからこそ得られるものもあるではないか。
スキー・スノーボードを始めとしたウインタースポーツ。かまくら作りに雪合戦などの子どもたちの身近な遊び。
ところがこのような発言をすると、しばしば受ける反論が「ウインタースポーツだったり、寒い外で何かをやるのなんて嫌いだ」というものだ。
そういう人たちにとっては、やはり冬に雪が降り積もることは、全く邪魔な出来事になってしまうのだろうか。
空気と景色
私はそんな雪降る日の空気と、積もった後の景色が好きだ。
しんしんと雪降る日は静かだ。
雪がまちの色々な音を吸収して静寂に包まれるまちの空気は、別の世界に迷いこんだ感覚に落ち入る。また、雪遊びに明け暮れた少年時代の放課後を思い出させてくれる。
雪が降り積もり翌朝晴れた時の景色はとても綺麗だ。
太陽の光に照らせれ、一面キラキラと光り、葉を落とした木々の枝には白い花が咲く。
冬、辺り一面が真っ白になり、春が来て雪が溶け再びこのまちが姿を現す。

雪降り積もることの意義
いつものまちに雪が降り積もり、全てが覆い隠され、再び現れる。
こうした雪が降り積もる冬の存在(と、それに相前後する秋と春の終わりと始まり)は、私たちに様々な感情を起こさせ、美しい景色や静寂の世界を生み出し、私たちにここではないどこかを想起させてくれる。
この意義を、まだうまく表現できないが、それを味わえないまちに住んでみてこのことが大切なものであることを直感した。
利便性や快適さといった視点ではなく、冬という季節そのものが私たちにもたらしてくれる贈り物の意義を今後も考えていきたい。


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